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2010年 08月 21日
40歳代を間近に控え、僕にとってのこの1年間は、どんな意味を持つのだろうか? ここで得たものを、如何に今後の人生に活かせるか? 最近、ずっとこんな事を考えてきた。 1年間の家族休暇? 転職は考えないの? この1年間、何度となく、同級生に言われた。 実は僕は、社会人になってから、5~6年毎に、大きな転職をしてきた。 自らの意思で転職した場合もあるし、そうでない場合もあるが、いずれの場合も、最初の1~2年間は吸収期として徹底的に学び、次の2~3年間は貢献期として、実績を残してきた。 そう考えると、今回の留学は、ある意味、僕にとっての転職なのかもしれない。 今の会社・部署に転職してきたのが約6年前。会社全体としても中途採用が少なく、また、僕の部署で初めての経験者・中途採用という位置づけだった。 それから、6年間、めちゃくちゃ働いた。入社当時10人ぐらいだった部が、留学前には約40名にまで成長し、気づくと、僕は部で一番の古株となっていた。 そうなると、部全体として、僕がいる事が常に前提になってしまい、僕を頼ってしまっているのが、何となく感じられた。これは、部の更なる成長の為には良くないなと、僕は思うようになっていた。 また、僕自身も、多少手を抜いても一応の結果が残せるような状況になりつつあり、仕事に対して貪欲さがなくなってきていた時期で、少し甘えが出てきてしまって良くないな、と思っていた。 そんな中での1年間の留学は、部にとっても、僕にとっても、初心に帰るという意味で、良かったと思っている、いやそう信じたい。 どこで読んだのか忘れたが、35歳限界説と言って、サラリーマンは、一つの会社にいると10年プラス2~3年間で、その会社特有の仕事人間が出来上がってしまい、転職するのが難しい、あるいは転職しても適応が難しくなり成功しない事が多い。しかも、それ以上の管理職になると、頑張らなくても経験で仕事ができてしまうので、自分の生産性や付加価値がそれほど上がらない、もしく減る一方で、給料だけが上がっていくというアンバランスが生じてくる。 僕も、そんな分岐点に達しつつある所だったと思う。 僕は、MBA後、日本に帰国し、留学前と同じ部署に管理職として戻るという、いわば既定路線を選択した。 理由は単純で、僕は今の仕事が好きだし、自分でも向いていると思うし、自分の競争力があると思ったから。また、そうする事によって、今の日本社会に何かしら貢献したいし、できると思ったから。 僕が転職を考えるのは、今の会社で、自分の付加価値を高める事ができない、あるいは、日本社会の貢献になるような仕事ができない、のいずれかの場合と思う。 日本を捨てるという選択肢はない。2度の留学で、否応なく、僕は日本人として生まれ、日本に関係する仕事で僕の強みが発揮され、競争力もあるという事を知らされたから。また、全体として国際競争力を下げつつある日本社会に対して、何かしら貢献する必要があると強く感じているから。 元の職場に戻るという選択をした今、1年間、この歳で日本を離れた事は、僕の直接の仕事に関して言うと、マイナスの側面もあったと多少危惧しない訳でもない。 また、今の会社は、留学派遣が、幹部候補生という位置づけではないので、別に出世に関係する訳では全くない。(あまり関心もないが。) だからこそ、僕は、もう一度、初心に帰り、ハングリーになる必要がある。 ラーニングカーブを、もう一度、ゼロからスタートさせるような感覚。 MBAで学んだ事を活かすという意味では、僕は、このラーニングカーブの角度と上げ、短期間で成果を出す事と、更に一段高い所まで到達する必要があるという事になる。 僕は心地よいアンバランスを受け入れる大勢の管理職になるのではなく、突き抜けるような結果を残す為に、今まで以上に、自分の付加価値を一層高めようと思う。 その為には、常に謙虚な姿勢・感謝の気持ちを持ちつつも、多少の軋轢や衝突も恐れない、強いリーダーになろうと思う。何故なら、今、僕が戻る部署はそのようなリーダーが必要とされているように、感じるから。 効果的なリーダーシップとは、その置かれている「コンテクスト」が重要であり、周囲のものを動かす大きな流れを作る事。Cambridge MBAで得た僕のリーダーシップ論。 Cambridge MBAでそこそこやれたという「自信」が強い味方になる。 家族という点では、やはり、日本にいる時と比較して、格段に家族で過ごす時間が持てた1年だった。娘が日々成長していく姿を見守れた事は、父親としてうれしかった。そういう普通の幸せを取り戻せた1年間だったのかもしれない。 また、ケンブリッジという街に住んだという事実も大きい。歴史的、かつ、自然豊かな美しい街、ケンブリッジ。治安も良く、住んでいる人が皆優しかった。 妻も、娘も、僕もこのケンブリッジという街が大好きになった。ケンブリッジでの生活は、大都会砂漠ジャングルの東京とは比較にならないほど快適で、理想的な暮らしができた。またいつか戻ってきたいと心から思う。 ケンブリッジMBAでの1年間は、家族との時間を取り戻す1年間、娘の成長を見守る1年間、そして決意を新たに、更に高い目標に到達する為に必要な助走期間としての1年間だったのかもしれない。 東京に戻った翌日の朝、時差ボケの眠い目をこすりながら会社に出勤すると、そこには1年前と大して変わらない光景があり、僕自身も何事もなかったように席についた。 でも、僕は大きく変わった。人生の折り返し点を超えつつある今、僕は、もう一度、新しいチャレンジに立ち向かおうとしている。
by cam2009
| 2010-08-21 01:26
| MBA
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